ただのオタク

トップオタク

2019.05.31

21時が回ろうとしている。

「もうレーン閉まりますよ?」と、ポケットから身分証と握手券を受付のスタッフさんに渡すとこう聞いてきた。

「大丈夫です、もうラストなので」

すでに何十回も身分証を確認してもらっていたので、すんなりと受付を通らせてくれた。

周りを見渡すと、片付けが始まっていて、何千人も収容できる会場がいっそう空っぽに感じる。

8部の幕張メッセ、当時発売された曲だけが永遠と流れていた。

身分証をポケットに戻しながら、少し早足で握手のブースへ向かった。

ペンやスタンドなどの入った荷物を持っている手から、なんとなく疲労の痛みを感じる。

握手券をスタッフさんに渡して、両手を見せてからブースに入った。

「もう終わりだよ」

「ありがとう」

「明日がんばってね」

「来ないの?」

「どうかな〜、DMMも見れるかわからないからね」

そう言うと少し寂しそうな顔を浮かべた。

つい2週間前に、この子にとてつもなく嫌な顔をされた。それは自分が悪かったと自覚してたし、本気で嫌われたわけではないということもわかってた。それでも、心の中のどこかでは、本気で嫌われてたらどうしようと、心配になってた部分もあった。

その子の誕生日前の握手だったので、奮発して「買い占め」なるものをした。半分は冗談で言われたことを、もし本気でやったらどういう反応されるか見たいのもあり。もう半分はこういうのを一度やって見たかったというのもあった。他に買いたい人もいるだろうと思い、抽選申し込みは最後の最後まで待って、1,000枚を申し込んで売り切らせた。総選挙でもなく、なんの投票権もついていない、ただの握手券付きCDだった。こういう時にこんなに買った自分が本当バカだな〜と考えながらも、売り切れで喜んでくれればすべて良しと思っていた。

なんとかお支払いをして、しばらく生活は少しキツくなるものの、支障はあまり出ない程度だった。発売日に、郵便局の配達のおじさんが、14個の箱を玄関まで運んできた時は、その量の多さに驚いた。

買い占めで、この子の人生の何分間を独り占めにした!と、なんとなく喜びを覚える気持ちもわかる。だが、自分はただただ売り切れれば、喜んでくれるのかな?と、単純で幼稚な考えをしていた。なので、買っって完売した時点でもうそれで終わりだと思い、実際握手する時は何を話すかとか、こんなにも話せるのかとか、全く無計画だった。特にその時、今は全くそんなことないが、話しかけても反応が薄かったり、話題を振っても返してくれないことがよくあり、ある意味での反抗期だった。そんな自分が何十分も話せるのかと、不安もあったが、出来るだけそういうことは考えないようにしていた。

実際に券を切り離し、一枚一枚重ねて見ると、マグカップぐらいの高さになった。すべて、1時間半以内に使う握手券。積み木を高く積み上げて自慢げにしている子供のように、1枚1,000円の紙の束をいつでも見えるように机の横に置いてた。

握手券をたくさん買って、その分の時間をすべて使い切らせてくれないこととかの話をよく耳にしてた。大抵総選挙期間での話だが、自分の場合はどうなるんだろう。マグカップぐらいの高さのある券を見ながら、毎日少し考えてた。もし使い切らせてくれない時、その時はその場で抗議するべき?国民生活センターにクレームでも?自分はこの分のお金を支払っているので、少しは怒ってもいいかな?などと、不安の気持ちが大きかった。

誕生日前日の握手会は、大阪で行われた。生誕Tシャツもその日発売ということで、気合い入れて開店前に並んでTシャツも買った。あまり見せびらかしているとか、マイナスなことを言われたくないので、券をたくさん持っていたことも数人にしか言わなかった。

先日の手応えから、このままだと確実に話せないのが見えていたので、少しでも枚数を減らそうと、いろんなメンバーに推し増し制度を活用していった。久しぶりのメンバーや、気になっていたが特に行く理由もなかったメンバーとかもこの機会を使って行ってみた。

いよいよその握手の時間が始まり、30分間は最大3枚しか出せないので、ひたすら3枚で握手のループをしていた。すでにその時点で話すことが無くなっていたので、この後の状況も容易に想像できる。何人か巻き込んで一緒に話そうというのも試してみたものの、話せないのは変わらず、まとめ出しの時間になった。

束になっている握手券を受付に渡すと、まず枚数を数えるのにも時間がかかる。何人かのスタッフさんが集まってきて、数えている間とりあえず握手に進んで良いとのことだったので、そのまま握手へ。予想通り何にも話せず、そっぽ向かれて、なんでこんな時間にまだここに居なきゃ行けないのと、口にはしてないものの、顔からはっきり読み取れるほどの表情をしてた。非常に申し訳ないながらも、買ったものは仕方がないので、とりあえず突っ立って時間がすぎるのをひたすら待っていた。

何にも話して来ないからか、ただただどうでもよくなったのか、わからないが携帯を弄り出した。相手が喋る気分じゃないので、僕も何も言わず、沈黙の時間がただただ過ぎていく。携帯で連絡していたのか、仲良しなメンバーが裏から出てきて、笑いながらこっちへ来たが、空気感の重さのあまり笑顔がすぐに消えた。

仲良しなメンバーが来ても空気は変わらず、このまま終わるんじゃないかと思っていたその頃に、別のスタッフさんが来て、交通の都合もあるのでこれ以上握手できないと説明した。余った分の時間は後日振替してくれると言ってくれて、とりあえず今日はここで終わりだと。誕生日前なのに重い雰囲気を作ってしまい、そういう状況を打開できなかった自分のあまりの不甲斐なさに、これまでにないほど落ち込んだ。おめでとうとか、素敵な一年にしてねとか、引きずった笑顔でお別れをしたのか。それともただただ落ち込んだままブースから出て行ったのか、自分ではあまり覚えていない。

余った分の券を返却されて、それ以降の会場で使えると説明を受けた。最後の人が握手を終えると、バスに乗り遅れまいとその子は走りながら裏へ行った。

握手どうだったかとか、たぶんその場では他の人にはあまり話さなかった。でもたぶん、なにも言わなくても察されるほど表情が重たかった。東京への帰路につきながら、ひたすら喋れない自分を悔やんでいた。

不思議ながら、その子を責めるつもりは全くなかった。完全に自分のせいだと、はっきりと、恐ろしいほどそう認識していた。半分ほど振替になったということもあったかも知れない、二回目のチャンスが与えられたみたいに。後々振替にしてくれたスタッフさんと話してわかったが、救済策として振替をさせてくれたように思えた。「他の子は行かないの?全然話せないだろう」と、どうやらその場を目撃していた。他の子に行くつもりはなかったので、当然振替も全部その子で、と話した。

責める思いはないものの、次会うのが少し怖かった。これで嫌われてないか、また話せなかったらどうしようとか。楽しむはずの握手会が少し恐怖のように思えた。

その子と仲良しだった子のところに行って、反応を伺ってみることにした。本気で嫌われていたら、なんとなく察することもできただろうと。嫌われたらどうするかとか、今後どうなるかとか、それでもその子行くのか、いろんな思いを交えながら、仲良しの子に行った。

「あれ?なんで来たの?」と、いつも通りに接してくれた。これは嫌われてないと、少しほっとした。たぶんまとめ出しの出来事も話していただろうから、いつも通りの反応なら大丈夫と、自分では思っていた。

その子の握手始まると、いつも通りだったことにほっとした。いや、いつにも増して笑顔だったように感じた。なにもなかったんだと、まとめ出しの出来事はなにも触れず、すべてがいつも通りだった。

自分が一番買ったから、一番お金使ったから、他の人より偉くて、多少優待されてもいいんじゃないとか、この子には全く通用しない。それでなのか、そういうことを求めている人はどんどん離れていって、残ったのは全く求めていない人たち。自分も似ている感じで、全く求めていないので、心地よく感じる。実際にこの出来事を通して、お金を多く使ってもその子を喜ばせることが出来なかったら意味がないどころか、むしろ最低だと言ってもいい。たくさんお金を使って、その子を喜ばせることができるならまだしも。そんなこと出来なかった自分が奮発しても、ただただ誰も幸せになれない状況を作ったのに過ぎない。そういう意味で、自分は最低なことをしてしまったと感じた。

それから、自分の買う握手券の枚数を見直した。好きという気持ちは変わらなかったし、前まで好きだからこそ握手券をたくさん取ろうという思考になっていたのが、その子のためになる方向へと考え方も変わった。いっぱい支えているからすごいだとか、他人と比較してどうだとか、ほとんど考えなくなってしまった。

性格上、取り組んだことに全力を尽くして、何事も常に上を目指してた。オタ活する時も同様。より上のオタクってなんだろうと考えると、俗に言うTOという言葉が出てくる。みんなが認めるはっきりしたような定義は存在しない。でも上を目指すには、なにか目標となるものをなくしては目指すこともできない。自分で一生懸命考え、出した結論は、TOは自称するものではなく、どの人に聞いてもその人がTOだと認められてから、はじめてトップであると言えるのではないかと、そう思った。

そういう人になれるのも、もちろん素晴らしいことだと思う、一時期そんな人になろうと目指していた。なにをしたらみんなに認められるのかを考えた。握手券をいっぱい買えば認められるのか?でも、まとめ出しのこともあって、自分は握手券たくさん買って認めてもらうことは無理だと認識した。じゃあ総選挙一番に投票したり、携帯ゲームのイベントで一番力を出せば、それは認められるのか?両方ともやってみたが、自分では無理だとわかった。

いまだに、なにをすればみんなに認められて、素晴らしいTOになれるのか、答えはわからない。でも、そういう答えを探るのもやめた。オタ活をただただ楽しみたいし、他人に認められてオタクしたいとも思わない。その子の中や、オタクの中で、トップにならなくてもいい。自分の中で、その子が一番ならいいんじゃないか?応援を通して、ついでに少しだけ力になれたら、それでいいんじゃないか?そう思うようになった。

その年の生誕祭は、年明け、握手会の翌日にあると決まった。

生誕祭に当選して、入ることになったが、前日の握手会が夜遅くまでで、翌朝早くから福岡に飛ぶことになって、少し気が引けた。

こんな大変なスケジュールを組むのは他に居ないだろうと思いながらも、年明けの握手でもあるのでたくさん来るのを少し警戒した。

生誕祭前日の握手は7部と8部、18時半から21時半までだった。18時半はまだたくさんの人が並んでいたが、8部の20時は、開始直後少し並んでいたものの、すぐに人が居なくなった。振替分とその日持っていた券を合わせて、60枚前後あった。

人がほとんど居なくなってから、ひたすら、無心で、1枚ずつ受付のスタッフさんに渡して、荷物をカゴに置いて、10秒だけ握手しながら話をして、また受付まで早足で行く、の繰り返しだった。

注目されるのが苦手で、こんなにもレーンで回っていたら、きっと見られてるだろうと、目玉が向かれている嫌な気持ちを押さえながら、下を向いて、ひたすら回った。

「いつか売れるといいね」

「もうここずーっとぶわーって並んでて、大変だと思うよ?」

期待と、夢の話もした。

つい2週間前に、嫌な顔をされた。その時は、全くこの子のためになれなかった。

でも、8部の幕張メッセで、ガラガラなレーンで、僕が居て、少しばかりは力になれたと、胸を張って言える。